柳澤紀子/造形・さまざまな思考(試行)

思考の断片

「思考の断片」はこれまでのインタビュー、番組出演(NHK土曜美の朝1998年、日曜美術館2009年)、対談(ギャラリーサンセリテ2012年)などにおいて、柳澤が語った言葉を清水裕子氏が書き起こしたものです。

思考の断片1…「転生の渚」

沢山のイメージと、哲学的な内容を含んだ言葉、作品とは直接結びつかなくても、アートの創作には、眼前に言葉があると、その言葉に近づこうと、近づけないけれども、近づこうというエネルギーが自然に出てくるというか、そういう力を言葉は持っていると思います。

思考の断片2…「委ねる」ということ

版画は他に委ねる部分があります。銅板に描くけど、後は薬品で腐食させたり、コラボレーションでプリントしたり、版を委ねるということろが面白さでもあり、版の可能性でもあります。自分が思ってもいない、例えば子供がプラスティックを引っ掻いて、刷ってみると思いもかけない摺り跡や、指紋が写ってしまったり…そんな偶然がいくつも重なって、版の力というのは面白い。

思考の断片3…身体と精神と…

Paradise1

Paradise1

作品は色にしても形にしても、最初に直感的にまずイメージとして出てきます。翼であっても、身体であっても、これらの形を借りて、ひとつの媒体として、自分の描きたいイメージをそこにオーバーラップしていきます。
本来は自分がさらに進化しなければ、見えない精神的なものがより一層強くなって、人間には身体は見えるけど精神は見えない。でも精神がほとんど身体を作っているかもしれない。たまたまそれを見える形で表現しようとするのです。
ラック、何かが欠けている身体に興味があります。
現代ではロボットあり、アンチロボットあり、何でもありの時代。医学でも再生、移植、DNAと進化…何が美しいか?は私たちが自分で見つけないといけない。私にとって興味が有るのは、今、自分たちがどんな精神的な状況の中に置かれているのか、という社会的現象にあります。自分たちの仕事の中でどういうふうに表現結びついていくか分かりませんが、やっぱり絶望だけじゃ辛い、何かを見つけたいという欲望です。

思考の断片4…インドの犬

Garden at the Waterfront VIII

Garden at the Waterfront VIII(2002)

インドのベナレスでは、河岸で遺体を焼いて、最後は灰になって、川に流します。でも貧乏な人は薪が少ないので灰にならないのです。
一番びっくりしたのは沢山の犬が周りに座っているのね。最初はわからなかった、どうして犬がいるのか、焼け残りを食べるために待っているのね。でも全然獰猛じゃないんです。優しいの。みんないい顔をしている。動物と人間の関係性を描かなきゃいけないと思いました。
どっちがどっちでも構わない。もしかしたら自分は犬だったかもしれないし、もしかしたらとんでもない生き物だったかもしれない。
これまでは意識せずに自然に犬が出て来ましたが、段々と動物が人間に迫ってくるというか、ついに一緒になっちゃうのかなって、そんな気持ちでいます。

思考の断片5…船、忘れ去られようとした一瞬

ひとつのメタファーとして、船が港を出て行く時には希望があるし、帰ってくるときは安らぎと迎える気持ちも。何よりも形が美しい…
沢山の船が捨てられ、解体され、うち捨てられ朽ちてゆく姿も美しい。全て何もない風景は怖いけど美しいのでは?と思った。
無人の漂流しているような船、うち捨てられた船、美しさというのは忘れ去られようとした一瞬、そんなシーンが描けたらと思います。結局は全部終わりに繋がるのでしょうが、こういう一瞬を捕まえたいと思います。

思考の断片6…我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々は…

ゴーギャンの作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」不安な中の淡い期待感というか。もしかしたら向かっても向かっても、結局動物糞しか(ジョナス・メカスから)無いのかもしれない。シジフォスの神話も然り。でも少なくとも今現実に、何かをしなければいけないということは感じますね。はっきりとしているのは死があること。
だけど終わりへ行くまでは、期待し、希望を持ちたいし自分の生を重ねた仕事をしたい。生は過程ですね。

思考の断片7…身体と表現

ロダン館での展示

静岡県立美術館ーロダン館での展示(2009)

身体はリアリティであるとともに記憶、苦悩、快楽…すべてを抱えるもの。人間を活かす水や大地の力 故郷の豊かな自然 人体も自然の一部 太古の記憶をひきつぐ過去から未来にわたる時間を秘めた身体の存在と精神の軌跡を表現したい。

今の時代からみた身体
ロダンの時代の身体とは異なる。そぎ落とした身体のなかに精神的なもの。自分が抱えている時間をインプットしようとする。毎日見られ、監視され、メディア、インターネットなど情報にさらされる世界もメディアによって一見近いようだが、核問題などのように実感がわからない怖さがある。それでも今の現実を生きてゆく…
しかし未来に向かって活きてゆく方法はきっとあるんだよということを表現できたらと思う。

思考の断片8…浜名湖

私が生まれ育った広大な遠州灘、台風の後の荒れた海岸、幼い頃からずっと見ていた場所(トポス)
その辺りの古人見町(こびとみちょう) 出身地の見慣れた風景 過去の記憶の風景がひろがる。水辺を背にして貼り付くように集落がある。
幼いころに歩いた道、水のある風景、船、水辺の景色が古人見という村が心の奥に、この地場の風景がいつも引っかかっている。
記憶の底にある水の原風景 自身のなかでイメージを作っているかもしれないが。

思考の断片9…西田田楽

水邊の庭1

水邊の庭1(1998)

水窪は浜松から天竜川を遡った長野との県境のまち この土地の水辺の風景が「水邊の庭」の作品のテーマへの深い関わりをもつ
西田田楽 毎年旧暦の一月十六日に豊作祈願のために奉納された。
能の原型 1000年前から変わることなく神の前で舞われてきた伝統芸能田楽から作品のインスピレーションを得ている。
ここでは人と神の交流 聖なる空間を感じる 不思議な時間の流れ
自分の経験したものとともに自分が背負っているもの 遠い先祖の記憶が流れている。
精神的な空間 山岳信仰 アニミズム 人間と植物、動物、石、大地、木と一体となるどんなものにも精神が宿る 心に響く日本の宗教観がある。

意識の奥の原初的な風景 線を彫る
自身の内側を掘り起こす 記憶を呼び覚ます作業なのかもしれない。