門坂流

門坂流/Ryu Kadosaka

惜しくも2014年4月逝去した日本版画界のエングレービング第一人者。子供の頃「川の水の流れや炎が複雑で捉え様のない形にリズミカルに変化し、生まれては消える様子を吸い込まれる様にみていた」。東京芸大では「学生時代からペン画描いてたら仕事がどんどん来て忙しくて」アカデミズムやコンテストとは無縁の世界でイラストを専門とした。  自ら「絵師」と任じ、「どんな注文でも断った事が無い」と本の装丁デザインから挿絵を数多く手がけた。独学でペン画とビュランによるエングレービングを会得。世界でも数少ないエングレービング作家として残した厖大な作品群はこれから世界に出て行くだろう。その仕事を逝去一年前に托されたことを私達は光栄に思っている。

6歳まで京都で育ち、その後母親の郷里の琵琶湖を擁する滋賀県に引っ越した門坂少年のまわりには常に自然があった。節穴から障子に投影された美しい青いシミが、ピンホール写真のように外の雪景色を映しだし、光と陰がおりなす奇跡に見せられた少年は「日光写真」に夢中になり、その形を自分で鉛筆をとって写そうとするようになった。やがて絵の好きな少年は高校生になり、ある日、窓からの光を受けて一心不乱にレース刺繍に集中する女性の姿を刺繍の糸まで一本一本描き出したフェルメールの「レースを編む女」の画像をみて、「心が震えるおもいがした」という。

こうして画家になろうと決心した高校生は68年、東京芸術大学油絵科入学する。が、ここから日本の普通の画家が歩む道から門坂は大きく外れて行く。正規の油絵が幅をきかせる美術界より、そのころ日本に紹介され始めたサブカルチャーと呼ばれる若者文化の方に心魅かれた。様々な絵を鉛筆画で描くうちに雑誌『宝島』で片岡義男の『ロンサムカウボーイ』の挿絵でデビューを果たして折からのポップカルチャーに、独特の細い線と精密画法でペン画で仕上げる門坂の作品は大変マッチした。85年には独学で難しいエングレービングをマスターし、以後、ますます人気となった門坂の作品はおもに、雑誌の挿絵や本の装釘、カバーという方面で有名になっていく。

一般に日本の画家は高名な師について展覧会で賞をとり、有名になって何処かの美大に講師としての席をおいて、絵を描いて行くというコースが多い。だが門坂は一度も展覧会に自作で応募したことはない。「仕事が忙し過ぎてとてもそんな暇はなかった」と笑う。独学でエングレービングをマスターし、「レースを編む女」のような姿勢で精密描写版画に取り組む門坂は「自分は芸術家というより『絵師』でありたい」という。

そう。ある意味では、日本の美術界も「イラストレーター」として著名な門坂は知っていても、まだ「芸術家」としての門坂を発見していない。だが、それはどうでもいいことだ。門坂アートをどうみるか、それはこのサイトの作品をみて、あなたが決めればよいことなのだから。

エングレービング

門坂版画の代表的な技法である「エングレーヴィング(直刻凹版)」技法は1430年ごろ既に金属細工法として発達し、後に紙幣の原板製作にも使われた最も古い技法である。原理は極めて簡単で「ビュラン」と呼ばれる刃物で銅板に彫り、その溝にインクをつめて紙に転写するだけである。今日でも紙幣や有価証券の原板はこの技法で彫られる由縁なのだ。 またスイスの高級腕時計の文字盤も未だにこの方法で作られている。なぜならばその独自の味わいとともに、技法が原始的なだけに、一切のごまかしが効かないのが特徴であるからだ。

原理は非常に簡単で、ビュランと呼ばれるナイフで銅板を刻む。プレートが刻まれた後、インクは、用紙または他の材料に押し付け溝に押し込まれる。刻まれた芸術は偽造が困難である。細い線とイメージの深さは、人々に影響を与え、手紙のさらにパネルは、高品質なスイスの時計と同じ影響を与える。

エングレービング

他の技法、例えばエッチングやドライポイントとちがって、「ビュラン」の先端はダイヤモンド並みに硬く、銅板の上をスルスルのなめらかに彫れる・様になるには何年もかかると言われている。ビュランは基本的に直進しか出来ない。曲線を彫ろうと思えば、版の方を回すしかないのだ。牛の革に細かい砂が詰め込まれている版画専用の用具クッサンの上で版を回しながら曲線を彫るのだ。だから、エングレーヴィングの作品のサイズには限界がある。また、銅の上を刃モノで彫るわけだから、刃物はあっという間に鈍くなる。その為、常に研ぎながら彫る、ということをしなけらばならない。そして、このビュランを"研ぐ"という行為が、"彫る"事以上に難しいとされていて、これもまた何年もの修行が必要だ。というわけで、今日、わざわざこの技法を覚えて作品をつくろうとする若い作家は世界でも極めて少なくなっており、美術大学などでも教えることが少ない。「技法を選ぶ前に、技法が人を選ぶ」と言われる由縁である。

門坂流は、鉛筆やペン画を超えた、精緻な描写力に魅せら、このエングレービング技法を独学で習得し、1985年以降およそ30年間、独自の世界を拓き作品を作り続けている世界でも稀な作家である。

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本の表紙

門坂の作品は多くの本、雑誌の表紙デザインとして使われている。

本の表紙絵

※撮影協力:Café & Galeria PARADA(カフェ&ギャラリー パラーダ)

小池真理子 「一角獣」角川書店 2003年刊
小池真理子 「一角獣」角川文庫 2006年刊
小池真理子 「虚無のオペラ」文春文庫 2006年刊
篠田節子 「ゴサインタン」」双葉社 1996年刊
篠田節子 「弥勒」講談社 1998年刊
篠田節子 「ハルモニア」 1998年刊
篠田節子 「讃歌」朝日新聞社 2006年刊
篠田節子 「讃歌」朝日文庫  2010年刊
高樹のぶ子 「百年の預言(上)」朝日新聞社 2000年刊
高樹のぶ子 「百年の預言(下)」朝日新聞社 2000年刊
高樹のぶ子 「fantasia」文藝春秋 2006年刊
藤本ひとみ 「ウィーンの密使」講談社 1996年刊
藤本ひとみ 「恋情」講談社 2000年刊
谷村志穂 「海猫」新潮社  2002年刊
岩井志麻子 「がふいんしんち"ゅう(合意情死)」角川書店 2002年刊
岩井志麻子 「がふいんしんち"ゅう(合意情死)」角川ホラー文庫 2005年刊
河野多恵子 「妖術記」角川書店 1978年刊
森本貞子 「秋霖譜(森有礼とその妻」東京書籍 2003年刊
北森鴻 「蜻蛉始末」文藝春秋 2001年刊
佐藤亜紀 「雲雀」」文藝春秋 2004年刊
佐藤亜紀 「雲雀」」文藝文庫 2007年刊
寮美千子 「楽園の鳥(カルカッタ幻想曲)」講談社 2004年刊
夏樹静子 「裁判百年史ものがたり」文藝春秋 2010年刊
藤本泉 「時をきざむ潮」講談社文庫 1980年刊
林芙美子 「浮雲」新潮文庫 1991年刊
森真沙子 「青い灯の館」角川文庫 1989年刊
永井するみ 「樹縛」新潮文庫 2001年刊
曾野綾子 「永遠の前の一瞬」新潮文庫 1990年刊
榊原姿保美 「龍神沼綺譚(下)」角川文庫 1992年刊
吉村昭 「海馬(トド)」新潮社 1989年刊
日影丈吉 「鳩」早川書店 1992年刊
日野啓三 「台風の眼」新潮社 1993年刊
沢木耕太郎 「象が空を」文藝春秋 1993年刊
沢木耕太郎 「路上の視野」文藝春秋 1993年刊
辻仁成 「旅人の木」集英社  1992年刊
内田康夫 「華の下にて」幻灯舎 1995年刊
堂場瞬一 「約束の河」中央公論新社 2005年刊
逢坂剛 「幻のマドリード通信」大和書房 1983年刊
逢坂剛 「あでやかな落日」毎日新聞社 1997年刊
逢坂剛 「カプグラの悪夢」講談社 1998年刊
辻原登 「父、断章」新潮社 2012年刊
河野修一郎 「復讐する鼠」岩波書店 1993年刊
胡桃沢耕史 「天山を超えて」徳間書店 1982年刊
東郷隆 「人造記」東京書籍 1990年刊
梁石日 「未来への記憶」アートン 2006年刊
折原一 「水底の殺意」講談社 1993年刊
村松友視 「流氷まで」文藝春秋 1996年刊
大西巨人 「深淵(上)」光文社 2004年刊
大西巨人 「深淵(下)」光文社 2004年刊
清水一行 「家族のいくさ」光文社 2003年刊
森村誠一 「人間の十字架」角川書店 2007年刊
後藤正治 「不屈者」新潮社 2005年刊
五條瑛 「ヨリックの響宴」文藝春秋 2003年刊
三浦明博 「黄金幻魚」講談社 2011年刊
立松和平 「奇蹟(風聞・天草四郎」東京書籍 2005年刊
浜野さとる 「ディランにはじまる」晶文社 1987年刊
島田荘司 「ロシア幽霊軍艦事件」原書房 2001年刊
高田宏 「海と川の物語」学陽書房 1996年刊
小沢章友 「曼荼羅華」講談社 1996年刊
山本譲司 「獄窓記」ポプラ社 2003年刊
山本譲司 「続獄窓記」ポプラ社 2008年刊
大嶋仁 「精神分析の都」作品社 1996年刊
大嶋仁 「表層意識の都」作品社 1996年刊
沢田賢一郎 「ウェットフライテクニック」山と渓谷社 1987年刊
勝峰富雄 「山で見た夢」みすず書房 2010年刊
手塚宗求 「わが高原」山と渓谷社 2006年刊

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※2013年8月 門坂アトリエにて撮影